蒲田行進曲  −i恋人も濡れる蒲田i

JR京浜東北線・蒲田駅

蒲田は、東京最南端の都である。 蒲田の西には
多摩川が流れ、それを越えると神奈川県川崎市と
なる。 昔は“蒲田区”と言っていたそうだが、
隣の“大森区”と合併し“大田区”となった。
蒲田にはJRの他に、東急目蒲線、東急池上線、
京浜急行線が乗り入れていて大変便利な場所だ。
JR蒲田駅での電車の発車を知らせるメロディー
は、ご存知「蒲田行進曲」だ。 五所平之助監督
「親父とその子」(昭和5年)の主題歌として大ヒ
ットし松竹蒲田撮影所のテーマ曲にもなった。
ユザワヤ

蒲田の駅や街を歩いていると、必ず(100%・笑)
“ユザワヤ”の紙袋を持ったギャルやオバサン達
に出会う。 蒲田に8店舗ある総合雑貨店だ。
手芸品を筆頭に、工芸品、玩具、文房具、紳士服
、ランジェリー、生花など、幅広く取り扱ってい
る。 蒲田の他には、吉祥寺、浦和、大和、津田
沼、神戸に店舗を構えている。
えとせとらレコード

マニアックなレア・アナログ盤から最新CDまで
幅広い品揃えのレコード・CDショップ。

◎蒲田邦楽シングル店(邦楽シングル専門)
◎蒲田LP店(邦楽・洋楽LP+洋楽シングル)
◎蒲田CD店(邦楽・洋楽CD+音楽ビデオ)
◎蒲田アニメ・サントラ店
   (アニメ+サントラ+歌謡曲LP+その他)
◎新宿店(アナログ・シングル+LP+CD)
←蒲田温泉        ゆーシティー蒲田→

あまり知られていないが、蒲田には温泉がある。
黒湯と言って、文字通り真っ黒いお湯だ。 重曹
泉(アルカリ性)なので、肌がツルツルになるそ
うだ。 黒湯の他には白湯の泡風呂、電気風呂、
水風呂などが揃っていて、ちょっとした温泉気分
を楽しめる。 また、蒲田温泉の方は2階の休憩
所で食事もでき、名物「温泉釜めし」を味わうこ
とができる。 ゆーシティ蒲田の方にも、3階に
食事のできる休憩所がある。
富士通システムラボラトリ(富士通蒲田事業所)
(2003年5月現在、新棟建設のため工事中)

20代の頃、派遣の仕事でここに1年ほど通った。
当時はインターネットなんてもちろん無かったし
Windowsにもまだ、お目に掛かれていなかった。
パソコンといえばMS-DOS・・・のどかな時代だった
なぁ(笑) その後、コンピュータは著しい発展
を遂げ、今なお現在進行形である。 ちょっとぼ
んやりしてると、すぐ時代(技術)に取り残され
てしまう。 我ながら難儀な仕事を選んだもんだ
なぁ、などと思ってしまう今日この頃だ。
蒲田名物タンタンメン

どういう訳だか知らないが、“タンタンメン”が
蒲田の名物だ。 かなり太めの麺に挽肉と溶き卵
がたっぷり入り、唐辛子がピリッと効いている。
↑の富士通に通っていた頃、昼飯を食べに、よく
ココへ来た。 今回久し振りに“タンタンメン”
を食べたのだが、味の方はすっかり忘れていた。
「こんな味だったっけな?」ってな感じで(笑)
もうあの当時から15年くらい経ってるからなぁ!
映画館

現在、蒲田には2つの映画館「蒲田宝塚」と「テ
アトル蒲田」が、西口のイトーヨーカ堂の4階に
ある。 「蒲田宝塚」が東宝系封切館、「テアト
ル蒲田」が東映系封切館だ。
蒲田には、'70年代から'80年代にかけて「蒲田ロ
キシー」、「蒲田アポロ」、「蒲田プラザ」など
8館もの映画館があったそうだ。
松竹蒲田撮影所跡

大田区区民ホール・アプリコの敷地には、1920年
から1936年までの16年間、松竹キネマ蒲田撮影所
があった。 当時、撮影所の近くには銀幕スター
たちが多く住み、洋装店、飲食店、写真機店等が
建ち並び、東洋のハリウッドとも呼ばれた。 と
ても華やかな時代だったそうだ。 現在、撮影所
は大船に移転してしまい当時の面影は無くなった
が、「松竹橋」の親柱が、撮影所の唯一の名残と
してアプリコの館内に設置されている。
  「松竹橋親柱」の由来について
当地には、かつて、松竹キネマ蒲田撮影所があり、その正門前を流れていた逆川(さかさが
わ)には「松竹橋」がかかっていました。 「アプリコ」のあるアロマスクエアには、1986
年(昭和61年)に公開された映画「キネマの天地」撮影のために製作された「松竹橋」が、
蒲田の歴史を物語る記念碑として移設されています。 こうした地元の思いを知った鎌倉在
住の方より、戦中戦後の混乱を経て、もはや現存しないものとされていた親柱の寄贈の申し
出があり、蒲田東口地区まちづくり協議会が懸橋となって、七十数年ぶりに、当地への里帰
りが実現しました。 この親柱を、大田区の貴重な歴史的遺産として、地域文化創造の拠点
となる区民ホール「アプリコ」に設置しました。
   平成十年十二月  大田区
「蒲田行進曲」 1982年 日本

監督:深作欣二
出演:松坂慶子、 風間杜夫、 平田満 

1982年度の日本アカデミー賞をはじめ、当時の日本の映画賞を総ナメした日本映画史に残る
1本である。 中村雅俊が歌ったこの映画の主題歌「恋人も濡れる街角」も大ヒットした。

撮影所では「新撰組」の撮影が行なわれている。 銀ちゃんは、敵役の俳優が自分より目立
っているのが気にくわない。 そして最大の見せ場である“池田屋の階段落ち”も、危険を
伴うため中止になろうとしていた。 ある日、大部屋俳優のヤスのところに銀ちゃんが、彼
の子供を身ごもった女優の小夏を連れてくる。 大スターを目指す身辺整理のため、銀ちゃ
んはヤスに無理矢理、小夏を押し付ける・・・。

この映画のオープニング・クレジットのバックに、かつて松竹蒲田撮影所で活躍した往年の
銀幕スターたちの写真が次々に映し出される。 この銀幕スターたちを中心に、この映画の
中で撮られていた『新撰組』のような映画が当時、松竹蒲田撮影所では沢山作られていた。
そう、この映画は、故・深作欣二監督が、映画撮影所が熱気に溢れていた時代への想いを込
めて撮り上げた、今は無き松竹蒲田撮影所へのオマージュ的作品なのである。


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